パーパス経営が、なぜか儲けの「手段」になっている件について。
ここ数年で、「自社は何のために存在し、社会に対してどんな役割を果たすのか」…存在目的を指す「パーパス」という言葉を頻繁に聞くようになりました。
分かりやすいネーミングにより、一気に社会に浸透しましたが、実は以前から同じようなことは言われていました。
有名なところでは「3人のレンガ積み職人」の逸話がありますね。
旅人が3人のレンガ積み職人に「何をしているのか?」と尋ねると、1人の職人は「見れば分かるだろ。レンガ積みをしているのさ。毎日大変だよ」と答えた。
2人目の職人は「大きな壁を作っているんだ。この仕事のおかげで家族を養える」と答えた。
3人目の職人は「オレたちは大聖堂を作っている。多くの人が礼拝に訪れ、癒しと幸福に満ちた地域が実現する」と答えたという話です。

パーパスが急に注目されるようになった背景には社会の成熟化があります。
社会全体が物質的に豊かになると、人は、精神的な意義が欲しくなるようです。
例えば、第二次産業革命の恩恵で文明化が急進した時期に「三大幸福論」が相次いで出版されました。
暮らしにゆとりができた事で「自分は何のために生きているのか?」ということを考える人が増えたからだと言います。
現代がまさに同じ世相です。
例えば、コンサルティング会社「デトロイト」が世界29カ国のミレニアル世代(1980〜1990年代中盤に生まれた世代)に行った調査では、就職先の選択で重視する項目として、賃金よりも「企業が掲げるミッション」を挙げる人が6割にものぼりました。
意義が枯渇する時代ですので、企業が競争力をつけるために、こぞってパーパスに着目したわけですが、そもそも、その構図がおかしいと思うのです。
なぜなら、「目的」を意味するパーパスが「手段」になっているのだから。
試しにパーパスで検索してみると、ほとんどの解説サイトが、儲けの手段という文脈で論を組み立てていますからね。
このような動機であるならば「パーパス祭り」は一時的なブームに終わるでしょう。
しかし、だからこそ、それをちゃんと目的にした企業は繁栄という「副産物」を得るでしょう。
というのも、パーパスに共感した人は、3人目のレンガ積み職人のように、高いモチベーションを発揮するからです。
アイデアの創出は、1つのことを考え続ける「思考の累積量」で決まると言われています。
モチベーションの高い人は、常に頭の片隅に何かしらの課題が置いてあり、ふとしたキッカケ…例えば、散歩をしている時や入浴中に、突然、閃きが降りてくるのです。
また、正解がない時代において、試行錯誤は最も有効な戦略ですが、試行錯誤に耐えるには、それこそ「夢中」と呼べるような高いモチベーションが求められます。
そして、現代の消費者は、そういう人から買いたいと願っています。
富や名声は、それを直接追いかけると逃げていく。
大切なものを大切にした副産物として富や名声が残る…それがパーパスの真理だと思うのですが、いかがでしょうか。
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