「自分のもの」がこの世にないと知ると、少し世界は平和になるかもしれない

クリスマスイブは父の命日です。
28年前の今日、日付が変わる少し前にあの世に旅立ちました。
父は、その年の夏に、末期がんが見つかり余命宣告を受けました。
当時は、本人に告知することは稀で、父には胃潰瘍と告げました。

父は、いわゆる地元の名士と呼ばれ、それなりの財も名声も得た人でした。

入院したての頃は、自分が得た財を看護師さんに自慢をしていました。
「オレの会社」「オレが稼いだお金」「オレの車」

社員さんがお見舞いに来ると「オレが使っている社員だ」と、看護師さんに紹介していていました。
僕は、「社員は社長のものじゃない」と違和感を感じたことを覚えています。

僕は、そのやり取りを見て、とても怖くなりました。
父が「オレのもの」と言っているすべては、半年後には父のものではなくなっているのだから。

会社の後継者は僕ですが、父を見ていると、会社が僕のものになるという感じはしませんでした。

12月に入ったくらいから、父の容態は急に悪くなりました。
同時に、使う言葉が変わりました。
これまでの「オレの」が消え、思い出話をするようになったのです。

どんな心持ちで生きてきたか?
仕事が大変だった時に社員さんに助けられたこと。
自分が考える仕事の意義について。

社員さんに対する感謝の言葉も聞かれました。

僕には一切、様子は見せませんでしたが、父は「オレの」を手放す心境に至るまでに相当に苦しんだと思います。

イブの夜、父は大切なものを胸に抱いて空に旅立ちました。

大切なものとは、手にした「オレのもの」ではなく、日々の営みの中にあるのだと思います。

僕は、毎年、イブの日のブログには、「赤鼻のトナカイ」の歌詞を書きます。

♪真っ赤なお鼻のトナカイさんはいつもみんなの笑いもの。でもその年のクリスマスの日サンタのおじさんは言いました。暗い夜道はピカピカのおまえの鼻が役に立つのさ。いつも泣いてた トナカイさんは今宵こそはと喜びました。

大切なものは、「今ここ」にあるのだと思います。

それが指示ゼロ経営のエッセンスであり、きっと父も感じた世界なのだと思います。

それでは素敵なイブをお過ごしください。

誰も縛らない、誰にも縛られないあなたが大好きです!