新刊の「あとがき」の一番最後に、愛犬ハルへの謝辞を書いた理由

我が家には、ハルという名の柴犬がいました。
「いました」と過去形で書いたのは、18年の人生(犬生)をまっとうしたからです。
亡くなった日のことは、僕だけでなく家族全員にとって、一生忘れることができないと思います。

僕は、ハルを尊敬していました。
今から5年ほど前に、突然視力を失いました。
家族は大きなショックを受けました。
しかし、ハルは、見えない世界を懸命に生き始めました。

ドッグサークルの壁を伝い、位置と広さを確認しながら世界を探索していました。
悲壮感は一切ありません。

もちろん、人間と違い、現実を理解することができないからですが、とても僕には真似ができないと、彼女を尊敬したのです。

今年(2023年)に入り、自分の足で立ち上がることができなくなりました。
ご飯も、介助をしないと自分で食べることができません。
痴呆も進み、天井に向かって叫ぶように吠えることが増えました。

僕は、「その時」が近づいているのを肌で感じていました。

ハルは、僕が仕事をするテーブルのすぐ横、1メートル隣にいつも横になっていました。

僕は、ハルの「その時」が来るまで生命を燃やし続ける姿に胸を打たれました。

新刊の原稿の締切が近づくにつれ、ハルの最期が迫っているような気がして怖くなりました。

「その時」は、2023年3月17日にやってきました。

いつものように、ハルの横で仕事をしていたら、妻の悲鳴が聞こえました。

「ハル ハル ハルちゃん」

何が起きたか、一瞬で理解しました。

実は、その日は、新刊の原稿の提出日でした。
朝、9時過ぎに原稿を書き終わり、念のため誤字をチェックしてしていたその時だったのです。

眠るような、穏やかな顔をしていました。

火葬は翌日に行いました。
大学生の娘が金沢から急いで帰ってきました。
号泣することを予想していましたが、意外にも冷静で、僕は救われた気がしました。

火葬の朝、固くなったハルを自動車に乗せ火葬場まで運びました。
クルマに乗っている時は、そんな悲しくなかったのですが、いざ、お別れの時になると急に悲しみが込み上げてきました。
娘は前日の夜に、ハルに手紙を書いたようで、その手紙を棺桶に入れる姿を見たら涙を堪えることができなくなりました。

新刊の「あとがき」は、こんな文章で締めくくる予定でした。

指示ゼロ経営の実践事例を提供してくださった企業をはじめ、日頃から私に関わってくださっている方々にも深く御礼申し上げます。

その日の午後、あとがきの一番最後に、こう追記しました。

そして、原稿を書く私の横にいて、いつも心を癒やしてくれた愛犬「ハル」、最後まで見届けてくれてありがとう。

新刊はこちらから確認できます。
もし、僕の新刊を読む機会があれば、「あとがき」からお読みください。
今回の書籍は、賃金の問題に触れた本ですが、僕が本当に伝えたいことは、ハルのような生き方なのです。

僕の思いを受け取っていただけたら幸いです。