悲しみには、それと同じ数の、誰かの支えが存在する。

東日本大震災から15年が経ちました。
改めて、犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。

昨日は、黙祷を捧げながら2人の方に思いを馳せました。

1人は、津波で両親と妻、次男を亡くしたCさんです。
僕とCさんの出会いは、被災地で行った夢新聞ワークショップでした。夢をケーキで形づくる「夢ケーキ」という活動を主宰する友人が「一緒に被災地に行こう」と誘ってくれたのでした。

Cさんは、長男と参加したのですが、ワーク中、終始うつむいたままでした。
終了間際、Cさんは、たった一文だけ夢をしたためました。

「3月11日以前の、家族6人で幸せだったあの日に戻りたい。次男◯◯を、この手でもう一度抱っこしてあげたい」

「抱っこしたい」ではなく「抱っこしてあげたい」という心境になるんですね。

胸が張り裂けそうになりました。
時間を巻き戻すことはできなし、亡くなった人が生き返ることはない。本当に悲しいけれど、Cさんさんの夢は叶わないのです。

Cさんにかける言葉もなく、ただ立ち尽くしていると、Cさんが驚いたような表情で長男のもとに駆け寄りました。
長男の机に置かれた夢ケーキを見た瞬間、絶望の闇に強い希望の光が差し込みました。

家族が6人で幸せそうに暮らす様子が描かれています。

「お父さんの夢を支えたい」…将来、結婚し子どもが生まれ、お父さんはおじいちゃんになっている、そんな未来を描いたのです。

もう1人は、震災当時5歳の女の子で、津波で両親と妹さんを亡くしたMさんです。
当時、幼かったMさんは、事態が理解できず、いつか両親が帰ってくると信じ、手紙を書き続けました。

「パパへ、あわびとか、うにとか、たことか、こんぶとか、いろんなのをとってね」
「ママへ、生きているといいね。おげんきですか? おりがみと、あやとりと、本をよんでくれてありがとう」

決して渡すことはできない、とても悲しい手紙です。

昨日、黙祷を捧げながら、Mさんの現在が気になり、ネットで調べると、4月から看護師としてデビューするとの報道がありました。
そこに素晴らしい言葉が添えられていました。

「多くの人に支えられたから、今度は私が誰かを支える人になりたい」

悲しみには、それと同じ数の、誰かの支えが存在します。
そして、支えは地域を超え、世代を超え、人に受け継がれていく。

僕も、多くの人に支えられ今を生きています。
だから、僕も誰かの支えにならなきゃいけないし、そうなりたい、そんなことを思った今年の3.11でした。