社長が社員を手足と見れば手足が育つ。頭脳と見れば頭脳が育つ

こちらが相手を見たように、相手が育つという法則

社員に自発性、主体性がなくどこか他人事になっている場合、社員教育以前の問題があると考えています。
それは「リーダーがメンバーをどう見るか?」という問題です。
人間関係は、こちらが相手を見たように、相手が育つという法則があるように思います。

例えば、「お客様は神様」という考え方を間違って解釈して、お客様にへりくだるとお客様は威張り散らかします。
そんな人を神様と言うなら貧乏神です。
僕はサラリーマン時代にドラッグストアで働いていましたが、僕は「いらっしゃいませ」という挨拶はしませんでした。
「おはようございます」「こんにちは」だった。
僕は商売屋で育ったので、お客様と、いち人間としてお付き合いすることの大切さをずっと見てきたからです。
しかし、店長には叱られました 笑

当時、小売店ではコンピュータによる売れ筋管理が登場した頃です。
こんな商品をこの価格で売ると集客できるといったデータを参考に戦略的に仕掛けていました。
お客様をデータと見ていたのです。
すると、お客様もこちらをデータとして見ます。
別のお店が安売りすると一気に流出します。

「こちらが相手を見たように、相手もこちらを見る」

これは社内の人間関係も同じだと考えます。
これが冒頭の、社員に自発性、主体性がなくどこか他人事になっている場合、社員教育以前の問題だということです。

それは、社員を「使うもの」と見る視点です。
そう見ると社員さんは「使われる立場」と思い、使ってくれる人の指示を待つようになるのは当然のことだと思います。

社員さんを手足ではなく頭脳として尊重する視点が共創を生む

僕は従業員という言葉が好きじゃありません。
労働者なんて言葉はもっと嫌いです。

この概念は工業化社会が始まったころに登場したと聞きました。
経営陣は意思決定をする側、労働者は決められたことを遂行する側…そんな前提のもとで経営がなされていました。
労働法は労使の概念をもとに作られていますので、勤怠とか拘束時間とか、恐ろしい用語が多いわけです。
この言葉を聞いただけで、働く=こき使われるというイメージを持つ人が多いんじゃないかと思いますよ。

確かにモノを大量につくって市場に流すことが企業の大命題だった時代では、この関係性は合理的です。
しかし、もうそんな時代はとうに過ぎ去りました。
経営者の知恵だけでなんとかなる時代ではありません。

そんな時代では、社員さんをパートナーとして観る視点が大切だと考えます。
手足ではなく頭脳です。
「使う」ではなく「共創」です。

話は変わりますが、社長が発した言葉通りに社員さんが育つという現象に気づいた時期がありました。
「ウチの社員はバカばっか」と言う社長のもとでは、そういう社員が育つ。
「社員は優秀だ」と言う社長のもとでは、そういう社員が育つ。
そして、その現実を見て、また同じ言葉を発するという循環があると気づいたのです。

相手を一人前の大人として尊重しリスペクトする、これが人と組織が育つ土台だと考えています。

それでは今日も素敵な1日をお過ごしください。

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