プラス思考という原罪
私たちは、いつの間にか「プラス思考は善、マイナス思考は悪」という価値観を当たり前のように受け入れています。
人材育成でも、社員のポジティブな言動を増やし、ネガティブを減らそうとしますよね。
しかし、ポジ・ネガの二元的な視点だけで物事を見ると人は育ちません。
なぜならば、ポジ・ネガといったものは、常に対比で存在するので、ポジと認識した分だけネガが現れてしまうからです。
例えば、「あいつは良い社員だ」と思うほど、ダメな社員が目につくという経験はないでしょうか。
ポジティブな言動を増やし、ネガティブを減らすというのは原理的に不可能で、やればやるほど社員を疲弊させることになります。
本当に人を育てるには、ポジ・ネガを超越した「第三の視座」が必要です。
そもそも「プラス・マイナス」「ポジ・ネガ」というのは、分類をするためにロゴス(論理)でつくり出した概念です。
自然(宇宙)にはそんな区別も評価もなく、ただ「あるだけ」です。
その「あるもの」をどう観て、どう捉えるかが「第三の視座」を育てます。
話はビジネスから離れますが、それを実践した面白い事例があります。
僕の先輩に、無農薬、無肥料でお米を栽培する凄い農家がいるのですが、その方はこう言います。
「人は、害虫、益虫、ただの虫と分類するが、良し悪しを決めているのは人間の都合」
その方は、こうした評価を排して、色んな虫を混在させ、肥料などを使わない「あるがまま」の栽培をしているのですが、本当に生命力あふれる美味しいお米が育ちます。
「第三の視座」を持つと、人材育成も変わる可能性があります。
僕は、まだまだ未熟ではありますが、あるキッカケを通じ、その視座の入口に立てるようになりました。
そのキッカケとは、映画「おくりびと」の原作者、青木新門さんの講演会です。
講演のテーマは「生命」で、とある心療内科の話が紹介されました。
心療内科には心を病んだ方が来ます。
来る患者の多くが「先生、私、もう死にたい…」と言う。そんな人を毎日のように相手にしていたら、ネガティブが感染り心が病んでしまった言います。
疲れ切って「もう続けられない」と思ったある日、突然、違う視座が降りてきました。
彼らは、言葉では『死にたい』と言っているが、命は『生きたい』と言っている。辛い毎日を送り、死んでしまいたいくらい精神が枯れてしまった彼らが、今、この瞬間に自分の前に来て、助けを求めている。
発せられる言葉の意味を超えた、内に潜む生命力を観たのです。
僕は、この講演をキッカケに社員の見方が変わりました。
例えば、いつも愚痴ばかり言う社員に対し、ある日、彼が喋っている内容ではなく、内に潜む生命力を観たのです。
愚痴を言うのもエネルギーが要りますよね。こんなままでは嫌だという向上心、理想があるから愚痴が出るわけです。
生命力の視座で彼を観た時に、「生きてるな〜」と、何だか愛おしく思えたのです。
そして僕は「がんばろう」と伝えました。
それは、これまでも伝えてきた言葉ですが、言葉の意味を超え、生命力で発した言葉はエネルギーが違います。
彼の目には、明らかにこれまでとは違う輝きが宿っていました。
私たちは、つい世界を「プラス・マイナス」「ポジ・ネガ」のモノサシで裁いてしまいます。
しかし、本当に見るべきものは、その奥にある「より良く生きたい」という生命の願いなのではないでしょうか。
その視座を得た時に、人は自らの力で育っていくのだと思います。
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