この経験をした自分だから出来ることは何だろうか?という思考で未来を紡ぐ

ネットを見ると、若い人を中心に「詰んだ」という表現が目立ちます。
要するに「終わった」という意味。
「人生、詰んだわ」なんて使われ方をします。

僕はここ数年、特にコロナ禍になってから「詰んだ」という言葉をこの世から消したいと思うようになりました。

「詰んでる場合じゃねえぞ」と。

確かに、この国は失敗に対し不寛容な一面があります。
少し前までは、一度離職すると再就職に支障をきたすことが多かった。
多くの企業が、失敗していない人を採用する傾向が強かった。

でも、これからの時代…VUCAと言われる変化が激しく正解がない、予測不能な時代でそんな考え方をしていたら一億総失敗者になってしまう。

失敗=詰んだの構造は近い将来、破綻します。

その時に必要な考え方は「紡ぐ」だと僕は思っています。

詰むから「紡ぐ」へ。

確かに、失敗をした時、人は失うものがあるかもしれません。
しかし、その時に、同時に何かを得ているはずです。
それはとても貴重なものだと思う。

だからこう考えて欲しいのです。

「それを得た自分だから出来ることは何だろうか?」

僕は研修などで「人生グラフ」なるものを活用します。
人生の浮き沈みをグラフにしたものなのですが、これを書くとある事に気づく人が多くいます。

それは…

沈んだ時が次のステージの始まりだった。
その時に人生を変える出会いがあった。

受験や就職に失敗をしたと思った時、次の物語が始まっている。
事業で失敗した時、後に「これが飛躍のスタートだった」と気付く時が来る。

僕は、一般社団法人夢新聞協会を主宰しています。
未来に出される、自分の活躍が載っている新聞を書くワークショップですが、夢新聞にはまさに「紡ぐ未来」を描いて欲しいという思いでやっています。

僕は30代の前半に新規事業で大失敗しました。
落ち込んで何もヤル気が起こらない時に、師匠が僕に言ってくれたことが後の未来をつくりました。

一緒に温泉に入った時の洗い場で語ってくれたことです。

「自分の経験や才能は、それを持っている自分のためでなく、それを持っていない人のためにあるんだよ」

まさに、僕が夢新聞で伝えていること、そのまんまですね。

詰んでいる場合じゃない。
その経験をした自分だから出来ること、人の役に立つ形、描ける未来があると思うのです。

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