人材育成に「分かりづらさ」を。

私たちは「分かりやすさ」を善とし、「分かりづらさ」を悪と見なしがちですが、本当にそうなのでしょうか。
分かりやすい情報は、相手の思考の枠組みにストンと入るのですが、何の引っ掛かりもないため抜けるのも早いんですよね。

人材育成の達人クラスは「分かりづらさ」を上手に取り入れています。例えば、僕に人材育成のイロハを教えてくれた東川鷹年先生は、僕が人材の問題で悩んでいる時に、ひとことだけアドバイスをくれました。

「お前はボタンの掛け違いをしているのではないか?」

分かりづらいですね 笑。
聞いても教えてくれないことは分かっていたので、自分なりに考えた結果、それは「採用」であるという結論に至りました。
ボタンの掛け違いは一番最初に起き、一度掛け違えると、ズレたまま前に進んでいきます。
人材育成も同じで、採用の時点で価値観がズレていると、その先はずっとズレたまま…そう解釈すると、合点がいくんですね。

当時の僕は、求人の際に、ビジョンや事業への想いなどを伝えず、待遇面ばかりをアピールしていました。動機が待遇に偏った人は、お金にならないことはやりたがりません。しかし、人間関係の構築や企業文化の醸成など、本当に大切なことはすぐにはお金にならないことばかりです。
求めるものがズレているのだから上手くいくはずがありませんよね。

もし、東川先生が分かりやすく教えてくれたら、僕は頭で理解するだけで「腑に落ちる」レベルで解ることはなかったと思います。

適度な分かりづらさは、想像力を掻き立てる効果もあります。
児童文学「モモ」で知られるミヒャエル・エンデは「数人の人間が同じ本を読んでいるとき、読まれているのは本当に同じ本でしょうか?」という言葉を残しています。
文学は書かれた時点で完成せず、読者の想像と解釈をもって完成するということです。その読者ならではの視点や気づきが生まれて完成するもの。だから、同じ作品を読んでも、人により解釈が変わるのです。

適度な分かりづらさは、相手に考える余地を与え成長を促します。
お気づきの方もいると思いますが、僕はブログで、あえて解説はせずに「ちょっと考えれば分かりますよね」で止めることがありますが、狙いは同じです。

分かりづらすぎると思考が止まってしまう。分かりやすすぎると脳内に留まらない。さじ加減が難しいものだと思います。

しかし、僕はそんなに気にすることはないと考えています。
なぜならば、分からなければ身近な仲間に聞くからです。
僕も東川先生に「ボタンの掛け違い」の指摘を受けた時に、社員に「先生にそう言われたけど、どういう意味だと思う?」と聞き議論をしましたが、この時期が最も会社が成長した時でした。
分からなければ仲間に聞く。一緒に考えた仲間も成長する。…分かりづらさは「学び合い」を誘発するのです。

本当に人を育てたいなら「分かりづらい」と言われても、相手に考える余白を渡す勇気が必要ではないでしょうか。

分かりやすさがもてはやされる時代だからこそ、リーダーには「分かりづらく語る勇気」が求められるのかもしれません。
 

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