父と赤鼻のトナカイが教えてくれた、所有の虚しさと今を生きる幸福

1995年の今日、父が他界しました。
夏に末期がんが発見され、余命6ヶ月と診断されました。
当時、僕は東京で働いていたのですが、退職願を出し帰省。家業の新聞店を継ぐ準備を始めましたが、当時、余命宣告をすることは稀だったので、引き継ぎがスムーズに行かず苦労しました。

父と過ごした最期の半年間は、僕の人生に多大な影響を与えました。

父は、地元の名士と呼ばれ、それなりの財も名声も得ていました。
入院したての頃は、自分が得た財を看護師さんに自慢していました。
「オレの会社」「オレが稼いだお金」「オレの車」と。
社員さんがお見舞いに来ると「オレの社員だ」と、看護師さんに紹介していました。

僕は、そのやり取りを見て、とても怖くなりました。
父の言う「オレのもの」のすべては、半年後には父のものではなくなっているのです。

12月に入ると、父の容態は急変しました。
同時に、使う言葉が変わりました。
これまでの「オレの」が消え、思い出話をするようになったのです。

どんな心持ちで生きてきたか。
仕事が大変だった時に社員さんに助けられたこと。
家族旅行の話。

新聞店は休みが少ないので、家族旅行には数回しか行けませんでしたが、僕が高校生の時に行った伊勢志摩旅行は今でも思い出に残っています。
父は「今日くらい贅沢してもバチは当たらない」と、部屋にマッサージを呼びました。施術師が「肩がもの凄くこっていますよ。カチカチです」と驚くの聞き、僕は初めて父の苦労を知りました。

雪降るイブの夜、父は旅立ちました。
最期に一呼吸、深く息を吸い、とても穏やかな表情で人生に幕を閉じました。

僕が最期の半年間で父に学んだことは「いつに生きるか?」ということです。

私たちは、「何かを手にすること」に価値を見出します。
戦略発想を学び、得たいもの=ゴールを設定し、そこから逆算式にすべきことを設計します。

戦略においては、主従関係は「未来が主」で「今が従」になります。
そても便利で強力な発想なのですが、しかし、人生に当てはめることはできません。
なぜならば、人生にゴール設定はできないからです。人生はいつ終わるか分からないのだから。

だから人類は「いつ死んでも悔いのないように生きる」…「今が主」という生き方を編み出しました。

クリスマスは、もう1つの意味で特別な日です。
僕は、ある年のクリスマスに「赤鼻のトナカイ」に父の教えを見出しました。

♪真っ赤なお鼻のトナカイさんはいつもみんなの笑いもの。でもその年のクリスマスの日サンタのおじさんは言いました。暗い夜道はピカピカのおまえの鼻が役に立つのさ。いつも泣いてた トナカイさんは今宵こそはと喜びました。

大切なものは、今ここにあり、それをもってして、今、誰かのお役に立つこと。
それは至高の幸福であり、経営の真髄でもあると思うのです。

きっと父は、最期にそれを悟り、僕に伝えてくれたのだと思います。

今日は世界中が幸せに包まれる日。
あなたも素敵なクリスマスイブをお過ごしくださいね!
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