今日は父の命日。あの世生活26周年の乾杯をします

クリスマスイブは僕の父の命日です。
父の名は「清」ですが、きよしこの夜のあの世に旅立ちました。

僕が幸運だったのは父の死に目に立ち会えたことです。
いつもように見舞いに行き、夕方に病院を後にしました。
家に帰った瞬間、電話が鳴り、病院から「すぐに来てくれ」とのことでした。

23時過ぎに亡くなったのですが、その瞬間を見て、僕は人生観が変わりました。
よく「息を引き取る」と言いますが、人は本当に大きく息を吸って亡くなるのです。

最後の一呼吸に人間の凄まじい生命力を感じ怖くなりました。

父は、1929年生まれで10代の頃、海軍の予科練で訓練を受けていました。
数カ月後に出征、待ったなしという時期に終戦を迎えました。
終戦が数ヶ月伸びていたら、僕はこの世にいなかったかもしれない…そう考えると、幼少期から自分という存在を不思議に思っていました。

父はそんな時代の人なので、現代人とは大きく違う感覚を持っていました。

経営者としての父は、とにかくタフネスだった。
「従業員にナメられたらお終いだ」が口癖で、それを聞き続けてきた僕も同じ価値観を持つようになっていきました。
しかし、同時に憤りを感じるほどのワンマン&俺様で、「これからの経営者はこれじゃダメ」と違和感を感じていました。

そんな父は亡くなる1ヶ月ほど前に人格が変わりました。
例えばそれまでは看護婦さんに、「オレの会社はな」「オレの事業はな」と自分のこれまでの功績を自慢していました。
社員さんがお見舞いに来ると、看護婦さんに「オレが育てた社員だ」と紹介していました。

しかし、最期の方には使う言葉が変わっていました。
「オレの」が消えたのです。
その理由を父には聞かなかったのですが、使う言葉が変わってからとても落ち着いたように感じました。

そして最期の時、息を大きく吸って旅立った父の表情は、僕でさえ見たことのない穏やかな表情をしていました。

僕は今でこそお酒大好き人間ですが、20代の頃はほとんど飲まない人間でした。
父は大酒飲みで、僕と晩酌をしたがっていましたが一度も父にお酌をしたことはありません。

今宵は父が大好きだった日本酒「ゴールド真澄」で「あの世の生活26周年の」の乾杯をしたいと思います。

それでは素敵なクリスマスイブをお過ごしください!