競争を否定すると共創にはたどり着かない

時代は競争から共創に移り変わったと言われます。
僕も100%同感です。
共創は、1人では解決できない課題に直面した時に起きる現象…だから、今、世界中のコミュニティで共創が起きています。

しかし、同時に「競争」が悪いものと捉えられる風潮もあり、それには疑問を持っています。
僕も研修などで「競争から共創へ」と伝えていますが、その真意は競争のプロセスがあり共創になるということです。

競争は悪いことじゃない、むしろ必要だと考えているのです。

競争は奪い合いとは違う

競争は一部の人だけが達成できる目標を設定すると必然的に起こります。
しかし、この環境設定をすると、奪い合いが起こります。
その典型が成果主義賃金制度です。
例えば、賞与の原資が1000万円あったとします。
社員が上げた成果により、この金額を傾斜配分します。
成果を上げた者には多く、普通の者は普通に、上げなかった者には少しだけ…競争原理が働くわけです。
しかし、この制度の欠点は助け合いが起きないこと。
だって、助けた相手の成績が上がると、相対的に自分の評価が下がるかもしれない…だったら秘密にしとこ、そうなるのは自然のことだと思う。

これでは共創、協働は起きないですよね?
今は知恵の時代ですから助け合い、学び合いのない組織に明日はないと思います。

僕は、こうした競争原理には反対ですが、一方で競い合いには賛同します。
切磋琢磨です。
奪い合いではなく自己の成長意欲が刺激される競い合いはとても大切だと考えています。

競い合いのプロセスが、その先の共創に繋がっていく、そう考えています。

競い合うと自分の弱点も見えるが強みも見える

競い合いがなぜ、共創に繋がるかといえば、自分の長所に気付く機会になるからです。

神戸大学と中央大学、大阪大学の共同研究「隠れたカリキュラムと社会的選好」によると運動会のかけっこで「手をつないでゴールする」というような反競争的な教育を受けると利他性が低くなるという実証結果を得ています。

その理由は、そもそも今の日本には受験競争があるからです。
勉強が苦手な子にとっては、かけっこは自分の存在価値を示す数少ない舞台です。
そこで存在を認められるから自己効力感が生まれ利他的になれるというわけです。
「手をつないでゴール」ではその機会が奪われてしまいます。

「自分は○○は苦手だが、○○には長けている」
そんな認識は、競い合う中から生まれてくると思います。
闇がないと光は見えない。

共創とは、勉強ができる子と足が速い子がコラボすることです。
コラボしないと達成できない何かがあると共創が生まれます。

自分の強みと他者の強みを合わせること。
自分の弱みを誰かが補ってくれること。
他者の弱みを自分が補うこと。
こうしたことを交換条件ではなく、無条件で行うのが共創だと考えます。

この領域に関しては自分じゃなきゃ+でも自分だけじゃ達成できない…この構図が結果的に「チームとして」完成形になる集団の在り方だと思うのです。

競争から共創へ…これは競争を否定するものじゃない。
奪い合いではなく競い合いから発展する、最強集団の形だと考えるのです。

それでは今日も素敵な1日をお過ごしください。

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