指示ゼロ経営の先に広がる世界

先日、初対面の方から「なぜ米澤さんは指示ゼロ経営をやっているんですか?」と質問をされ、一瞬、戸惑ってしまいました。
というのも、日頃、指示ゼロ経営とはどんなものか?=Whatや、どのようにやるのか?=Howは語っていますが、ここ最近、Why=なぜ?を語っていないことに気づいたからです。

今日、10月28日は僕の誕生日ということで、今日のブログでは、改めて僕が指示ゼロ経営を提唱する理由をお伝えしたいと思います。
きっと、それは僕だけの事情ではなく、現代経営の課題でもありますので、是非、ご一読ください。

世の中には、人間が自らの手で作り出したものに支配され、自由や創造性を失うことがあります。
例えば、本来「学ぶ喜び」を得るための教育が、「点数を取るための勉強」に変わり知的探究心が削がれてしまったり、人との繋がりを豊かにするために開発されたSNSによって、誹謗中傷で苦しむ人が生まれたりといったことです。

こうした現象を「阻害」と呼ぶのですが、経営の世界にも数多くの阻害が起きています。
その代表は「分業」によって生まれる阻害で、次の3つの弊害が生まれています。

1、働きがいの喪失
2、生産物への誇りの喪失
3、人間の機械化

まずは「働きがいの喪失」から見ていきたいと思います。
分業は、およそ250年前に、アダム・スミスが「国富論」の中で提唱、し世界中に広がりました。分業では、管理者が設計した工程を細かく分け、そこに人を配置します。
アダム・スミスは、分業は生産効率を高める一方で、働く喜びや充実感は毀損されると指摘しています。書籍の中では、それを次のような辛辣な言葉で表現しています。

労働者は、愚かになり、無知になり、精神が麻痺してしまう。彼らは理性的な能力も、感情的な能力も失い、ついには肉体的な活力さえも腐らせてしまう。

僕の幼少期からの友人に、下請け工場で働いている人がいますが、彼は、自分が作っているものの正体を知らないといいます。発注先から「この形状の金属を作ってくれ」とだけ指示されており、その用途を知らないのです。
行為の意味が分からない作業は苦痛です。
友人は、仕事中は「オレは機械だ」と言い聞かせて退屈に耐えていると言います。

次は「生産物への誇りの喪失」について。
分業体制では、工程の一部分にしか携わらないので、生産物を「自分が作った」と感じることができません。顧客に喜ばれても喜びは限定的ですし、クレームが起きても責任意識は希薄です。
そこで開発されたのが、1人あるいは数人の作業者が、ひとつの製品を造り上げる、自己完結性の「セル生産方式」です。
SONYが初期ウォークマンを作っていた、神奈川県の厚木工場で採用されていましたが、ワーカーたちは、誇りと喜びと責任感をもってものづくりに励んでいたと言います。

最後に「人間の機械化」についてですが、これは、先ほど紹介した友人の言葉どおりです。
経営資源というワードがあります。一般的には、人・モノ・金を指しますが、僕は、この中に「人」が入っていることに大きな違和感を感じてきました。
僕は、社員を目の前にして「君たちは重要な経営資源だ」と言うことができませんでした。
その理由は、人間が「目的のための手段」という、部品のような位置づけになっていると感じるからです。

僕が指示ゼロ経営を提唱する理由は、現代ビジネスの常識から生まれる「阻害」をぶっ壊したいからです。

このような思いを抱くようになったのは祖母の影響です。
僕は、第二次ベビーブーム世代で、強烈な管理教育の中で育ちました。当時から「個性を伸ばす」なんてことが言われていましたが、実際は「阻害」にあふれていました。
そんな環境に馴染めず悩んでいた僕に、祖母は「お前には別の者になろうとしなくれいい」と言ってくれ、僕を阻害から守ってくれたのです。

まあ、そんな経緯から僕の思いが醸成されたのですが、これを天命と捉え、これからも働いていきますので、お付き合いのほどよろしくお願いします。
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