寛容な人は「みんな違って、どうでもいい」と思っている。

寛容さとは、他人の過ちや異なる価値観を受け入れる態度や能力のことで、豊か生きる上で欠くことのできない能力だと思います。
特に多様性の時代においては。

では、現代人は寛容か?と問われれば、いかがでしょうか?おそらく、多くの人は、胸を張ってYesと言えないのではないでしょうか。

どうすれば私たちはもっと寛容になれるのか。
今日のブログでは、「どうでもいい」と「事情」の2つのキーワードから紐解きたいと思います。

誰が言ったかは忘れましたが、以前にYoutubeか何かで「みんな違って、どうでもいい」と言った人がいて、とても感銘を受けました。
「みんな違って、みんないい」はよく聞きますが「どうでもいい」と言う 笑。
これは、ぞんざいな考え方ではなく、現実的な「他者に寛容になる方法」だと思うのです。

人間関係のすれ違いや衝突は、自分の正義を他人に押し付けることで生じます。
こう言うと、「別に正義なんて押し付けていない」という人がいますが、そもそも正義と認識していないことが多いのではないでしょうか。

「8+4=12」ということを疑う人はいないですよね。その常識があるから、電卓で計算して16と出たら、電卓の故障を疑うことができるのです。
「もしかして、8+4=12ではないのかも?」なんて疑っていたら日常生活を営むことは困難になりますよね。
しかし、多くの人は「8+4=12」の根拠を説明できません。「そう習ったから」としか言えません。
このように「そういうもんだ」という常識が誰にもあり、それで他人を測ると、どうしても相手が故障しているようにしか思えないのです。

世の中には、様々な「もんだ」が数多く存在します。
例えば、日本では、出された料理は残さず食べることを美徳としていますが、中国では、食べきれないほどの料理を振る舞うのが最高のおもてなしとされ、あえて少し料理を残すことが「十分満たされた」という感謝と礼儀の表現とされてきました。
しかし、その常識も近年の環境意識への高まりから変わりつつあるそうです。

人の数だけ「もんだ」があり、相手を完全に理解することは難しい。だから、良い意味で諦めようというのが「みんな違って、どうでもいい」ということなのだと思います。

文化人類学者の三浦 久氏は、より丁寧に「異質なものを、異質なまま受け入れる」と述べています。
同質であることを積極的に諦めた、懐の深さを感じる言葉だと思います。

もう1つのキーワードは「事情」です。
私達は、人の行動を、能動か受動か?と二元的に評価し他人を裁きます。
しかし、どちらでもない様態があります。
例えば、感謝の気持ちがそう。
自分から能動的に感謝したのか? 相手に感謝させられたのかが曖昧な、関係性や状況の中で生まれた感情です。
恋に落ちる、魔が差すも同様ですね。

人には、「思わずそうなってしまった」「そうならざるを得なかった」という、ある事情に基づく言動があるもの。そこに想像を巡らせることも寛容さを手に入れる秘訣だと思います。

寛容さとは、すべてを理解することではなく、理解し切れないものがあると認める(諦める)ことなのかもしれません。
それぞれの「もんだ」と「事情」を想像すること。
それが心に余白をつくり、より良い関係性を育てていくことに繋がるのではないでしょうか。
 

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