自発性を破壊する「誰のせい」というクソ責任論
人の行動が変わらない時、真っ先に疑うべきは「変えないメリット」の存在です。
例えば、発言を頭ごなしに否定されるのであれば、最初から発言しない方が得なので、ダンマリを決め込むということ。
行動が変わらない時には「そうしないメリットがあるのでは?」とイメージしてみる。
ということで、今日の記事では「自発的に行動しないメリット」にフォーカスし、対策を考えたいと思います。
僕は、研修で「自律するメリットと不安」というテーマで受講者に話し合ってもらうことがあります。
すると、メリットよりも不安の方が多く出るんですよね。
「バラバラになるのではないか?」「役割が曖昧になるのでは?」「限られた人に仕事が集中するのでは?」
そして、必ず出るのが「責任を取らされるのでは?」という不安です。
責任を取らされるリスクがある以上、挑戦しないことが絶対優位の選択になります。
メンバーが、責任に対する不安を持ったままことを進めるのは、アクセルとブレーキを同時に踏んだまま前進するようなもの。
組織の自律性を開放したければ「責任論」を明らかにすることが欠かせません。
では、責任とはどんなものでしょうか?
責任には、「取らされる責任」「取る責任」「果たす責任」があります。
「取らされる責任」とは、他者から「あなたのせい」と罪を被るようなあり方です。
以前に、元プロサッカー選手の中田英寿さんが、部活動で敗北した際に、監督がメンバーに罰を与える慣習に関して次のように述べています。
「負けたのは選手のせいなのか?監督も一緒にグラウンドを走る(罰のこと)なら納得するが、そうでなければ納得するわけがない」
ドラマ「半沢直樹」でありませんが、同じようなことが起きている職場もありますよね。
続いて「取る責任」について。
これは、自らが何らかの処罰をもって失敗の責任を解消することを指します。
武士の「ハラキリ」の名残なのでしょうか? 取る責任は、政治や大企業の世界では「辞任」という形で行われます。
辞任は究極の「取る責任」ということになりますが、しかし、社長の代わりがいない中小企業では、そういうわけにいきません。というか、そんなことをされたら迷惑です。
何があっても何とかしなければなりません。
それが「果たす責任」です。
社長でさえ責任を取ることが難しいのだから、メンバーはなおさらです。
組織の自律性を高めたい時、何かに挑戦する際には「果たす責任」の考え方を共有することが欠かせません。
果たす責任とは、やりっぱなしにしない。失敗しても、そこから学び成長することです。
「計画を立てる→やってみる→やった結果を検証する→次に活かす」このサイクルを諦めずに回し続けることです。
このように考えると、失敗は失敗ではなくなります。
それは失敗ではなく、上手くいかない方法が分かったのだから成功なんだよ」
ートーマス・エジソンー
計画は「仮説」で、失敗は失敗ではなく「仮説の誤りが分かった」という収穫に変わります。
この考え方が定着すると、メンバーの挑戦意欲が変わりますし、仮説と検証の繰り返しが活性化し、ぐんぐんと成長します。
いかがでしょうか。
正しい責任論は、メンバーの挑戦意欲を高め、成長を促すことができるのです。
社会全体に、失敗に対し「誰のせいでこうなった?」と責める風潮がありますが、成長のレシピを知れば「君のおかげで成功のヒントが掴めた」と解釈するはず。
そうなれば、人は安心して一歩を踏み出せます。
「せい」ではなく「おかげ」
挑戦したことに感謝できる文化をつくることが、責任を果たせる人を育てる最大の秘訣だと考えます。
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